1ヶ月前にお看取りをしたお年寄りのお宅に挨拶をしに、お線香をあげに立ち寄る。10年以上の療養、ベッドでの生活。いくつもの疾患を抱え、後半は拘縮が強くなり自分で寝返りを打つことができず、オムツ交換も着替えも体位交換も清潔保持も大変だったと思う。奥さんがその間、ずっと介護していた。その途中にはその方のお母さんも同時に介護して最後まで看取った。2人の介護をしていた訳だ。
私が関わった時はご本人はすでに痩せきっていたけど、遺影はふっくらしていて生気に満ちていた。亡くなる3週間くらい前から、少量口から何か食べていた状態が何も食べなくなった。それと同時期にだんだん反応しなくなった。
自宅には沢山の人が出入りしていた。息子、娘、孫、兄弟はもちろん親戚や近所の人たちがいつもいた。24時間、365日、10年以上ひたすら介護してきた奥さんは全然憔悴した様子はなく、何だかいつもニコニコ生き生きしていた。「皆さんが、いつも助けてくれるからありがたい。だから何とかできてる」という。
いつも人がいるから、体を拭いたり、下のケアをしたり、褥瘡のケアのために裸にすることを私が躊躇していると、奥さんも立ち寄っている人も「いいの、いいの、知ってるから、親戚だから、気にしないで」と言われる。私は、いいって言うけど異性だし、早く部屋出てくれないかな、と内心思っていた。でも、みんな本当に気にしなくていいという感じだった。
私は、本心でないことやその人の思いなど言葉のエネルギーを探ってしまうのだが、みんなものすごい純度で相手を愛おしく思い、心配し、悲しんでいた。その部屋には死が間近な人がいるにも関わらず、いつも笑いがあり明るいエネルギーがあったから、私もとても居心地がよかった。それはお2人の人柄なんだな、と感じた。
久々にあった奥さんは忙しくバタバタしていたであろうが、いつものように明るくパタパタ動いていた。使わなくなったオムツや栄養剤、お尻ふき、吸引瓶の部品など大量に出してくれて寄付してくださった。色んな思い出話をしながら、今、息子さんが一緒にいてくれて、そこから仕事に通ってくれていると話してくれた。「息子に何か欲しいものある?あったら買いに行こうって言ってくれるんだけど、お父さんに必要なもの、お父さんに欲しいものしか考えてこなかったから、自分が欲しいものなんて考えられなくて分からなくて」といつもの明るい調子で話してくれた。
その話を聞きながら、私は星野富弘さんの風の旅の詩を思い出していた。
結婚指輪はいらないと言った
朝、顔を洗うとき
私の顔を傷つけないように
体を持ち上げる時
私が痛くないように
結婚指輪はいらないと言った
今、レースのカーテンをつきぬいてくる
朝陽の中で
私の許に来たあなたが
洗面台から冷たい水をすくっている
その十本の指間から
金よりも銀よりも
美しい雫が落ちている
初めてこの詩を読んだのは小学生か中学生か。衝撃を受けたというか、これだ、と心を鷲掴みにされたというか。奥さんがいつもの明るい感じで本当に困った様子で自分が何が欲しいか全く分からないという話を聞きながら、突然忘れていたこの詩が頭の中に出てきて、同じ感動を覚えた。人のために自分を使い切り、自分はこんなにしているとか、こんなにしているのにとか何一つなく、いいことしてるとか、頑張ってるとか、偉いとか何もなく、ただあるのは、目の前の大切な人に必要なことを見つけて、ただ目の前のことをやるということ。その100%の純度に静かに感動してしまったのだ。
この純度が都会では出会うことがなかった川根のエネルギーなのかな、と思い始めている。