前の職場の子供さんは、24歳で仕事についていなかった。長年、謎の体調不良があった。部屋の蛍光灯の明かりが眩しすぎて頭痛が出るため、明るいうちに夕食をとり、早々に寝ていた。電灯を使わない生活をしていた。普通の人には聞こえない電流の音がものすごい体中に響きわたりどこにいても常時つらい状況にいた。喘息もあり、アレルギーもあった。小さい頃から、好き嫌いではなく自分の体によくない物が分かり、特に肉、魚、乳製品は食べなかった。この体調不良についてありとあらゆる病院に行き、膠原病と言われたり、精神病と言われたり、最後には障害があるとか診断されたらしい。
別の職場の人の子も、上の子は小2だったが、夜中によく奇声を発し泣き叫んだ。特に嫌がらせされたりした日は止まらなかった。学校変えてもいいよ、と親が言っても変えないと言い、行ってくると重い足取りで学校に向かう。耳の調子が悪く、喘息があった。その下の子はいわゆる肉体・機能的に女子という性別で生まれていたが、自分を男子と認識していた。その幼稚園は制服だったので、スカートは絶対はかず体操着で通っていた。本当はズボンの制服を履きたがった。先生に何度も面談され、強制的にスカートを履かされていた
私の髪を切ってくれてた人は、胎内記憶がある。産道を通り出てくるまでを明確に記憶していた。生まれてから全ての記憶を持っていた。小学生の時、友達に全ての記憶なんて残らない、みんな忘れるよと言われた一言で、記憶って残らないと初めて知り、その瞬間から記憶しなくなった。食事の時に食べ物の気持ちが分かって食べることができず、親に怒られていた。予防注射は体によくないと認識していて、小さい頃から自分の意志で注射を受けなかった。
他にも沢山出会う。ここ8年くらいは本当によく出会う宇宙チルドレン。地球や日本社会では生きづらい人。どこの病院に行っても分からない体調不良が続き、引きこもりや不登校になったり、しまいには病気になってしまう。私が出会った人はかろうじて親がそれを理解していたから、何とか病気にはならずにいたが、長期に日本の枠社会に居続けると分からないところだ。
今の日本の学校や社会は、神経質だとか、心の病気だとか、変人とか仮病とかわがままとか色々言うが、受け入れる・受け止めるという姿勢はない。仕事量が多くてそこまで手が回らないとか、画一的なことをした方が確かに管理しやすいのかもしれない。当然枠に入れず、はみ出し、分断される。自分はできないダメ人間と思い、親はみんなのように育てられないと自分を責める。
こういう子たちは、はっきりとした意思を持ち、自分の体に合っているもの、自分の心に合っているものが分かっている。自然の物、自然の場所にいたり、ありのままの思いを話せると元気に過ごせ、自然から離れると体調不良になる。しかもそれは、医学的には分からない。一人の子は、無農薬でないと受け付けず、小さい頃から誰に教えられるでもなく、自分で有機栽培で野菜を育てる子もいた。
日本は赤ちゃんの頃からどこに行っても枠を決められ、その枠に収まることを強要される。はみ出すと行き場がなくなり、はみ出し者のレッテルを張られる。その枠内に収まること、テストの点や偏差値の評価価値で競争やランク付けされ、同調しようと頑張り、枠に入れない、収まれない人は引きこもり、病気になっていく
麦っ子畑保育園は、他でよくあるというか提出させられる発達段階や発達課題という概念を持たない。その子が歩く時が歩く時、その子が話す時が話す時。たとえ、話すことがなくても他の誰かがその子の言葉になればいいし、コミュニケーションは言葉だけではない。小さいだ、大きいだも言われない。言われるとすれば、食事、布オムツ、石鹸洗剤、予防接種すすめないくらいか。いつしか、親たちはその発達曲線、発達課題、発達段階から解放され、比較しなくなる。子供が元気に楽しんだかが重要で、比較するとすれば、他の子でなく、前の子供と今の子供か。子供の成長は枠内に入っているかが重要でなく、というかそれはむしろ害であり、大切なのは元気に楽しく遊んでいるかということだと思う。
日本は世界の中で、色々な部門で自己肯定感がビリだそうだ。逆につまらない、やる気が出ない、というネガティブな質問でトップだったそうだ。ヨーロッパと日本の教育の違いは、ヨーロッパは権利を徹底的に教え、日本は義務を徹底的に教える。ヨーロッパは、好きに生きていい。人には自由と権利があり、他者はそれを侵害してはいけないと教えられる。日本は、してはいけない、しなければならないばかりを教えられる。義務ばかりで権利を教わらないと。この義務教育の結果が自己肯定感が低く、思考停止し、同調圧力、分断を生み出すのか。
日本は、やりたいことをやれない。大人が危険と察知したらやろうと思った時点で止められ、危険がないような環境をあらかじめお膳立てされる。義務ばかり教えられ、やりたいことを危険とかできないと止められると、次第にやりたいという思考が停止する。やれと言われたこと以外やってはいけないと思うようになる。
うそー、と思うが現実そうである。子供だけではない。大人も同じ状況だ。これが義務教育だけのせいではないが、原因の一端と思えてならない。
ありのままで生きていていい、ありのままで受け入れあえる。やりたいことをやればいい、やりたいことをやっている。そんな学校があれば、みんな生き生きできるのかなと思う。
人は生まれたときすでにエネルギー全開で、固定観念や常識を刷り込まずに成長できれば、ありのままの自己肯定感満点の人に成長できるのかな。大人はお膳立てすることも教えることも実はなくて、本当は子供は全てわかってるはずなのでは大人は引っ込んでればいい
いわゆる生きづらさを抱えている子供が、自然の食べ物や自然の場所を好むように、本来人間は自然の中でないと元気に生きられないのかもしれない。そして、この生きづらさを抱える子供が生き生きとできる社会や学校を作ることがみんなの元気に繋がることなのかなと思っている。
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