11月から町役場の訪問看護の仕事をしている。都会には、訪看は医師会か病院か施設に併設か、民間かしかないから、役場に訪看があるのを見るのは初めてだ。なぜ、転職しようかと思ったか。
1つ目は、前の職場まで毎日100キロ走行していたら車の劣化の激しさを目の当たりにした。かなりの走行を重ねていた車をもうしばらく騙し騙し乗ろうと考えていたけど、数ヶ月でボロボロになり廃車するしかなくなってしまったのだ。
もう一つは、生業ブランディング道場のセッションで、エネルギーが上にばかり向いていて大地のエネルギーをもらえていないと言われたから。その通りだったのだ。それから、毎日、隣にある神社に挨拶するようにし、休みの日は周囲を歩いて呼吸をした。そうしていたら、ふっと、川根で仕事をしようという思いに至った。
看護師の仕事の場は色々あって、自分も色んな種類の仕事をしてきたが、訪看の仕事が一番好きで自分に合っていると思っていた。病院でよそ行きの顔をしている患者さんでは中々本人の人となりを見るのは難しい。家に行けば、どんな環境で、どんな人とどういう生活をしているか、どんなものを食べているかがよくわかるから、その人にあったその人に必要な看護をしやすい。川根のことも知ることができるので、やるしかないという考えになった。
川根は看護師が不足していて色んな場所からお声をかけてもらった。募集が出てないから訪看があったことは知らなかったが、知り合いを通じて繋いでもらい、役場の人と話すことになった。結論からいうと、役場の仕事にも関わらず私は面接をすることなく仕事を開始している。履歴書を持ってくるようにも言われてなかったけど、念の為持参し、言われなかったけど提出した。
高齢課の課長と主任は川根のために無茶苦茶働いている人。特に主任の仕事の8割は自分の仕事じゃないことをしているのだ。(これを話すと長くなるので別の機会に)その2人が、訪看がどういう風に仕事をしているかを説明し、川根のお年寄りがどういう感じか話してくれた。課長は、川根のお年寄りがいい人だからと自分が通っていた町よりもさらに遠くから出勤しているそうだ。訪問リハビリも川根の人がいい人だから、遠くから日数を増やして来ている、とか。
何々?遠くからでも通ってしまうってどんだけいい人なのよ、川根の人ってー。働いてもらうためにちょっと誇張して言ってるんでしょう。そう、思いました、初め。かれこれ、1時間近く話しているのに中々、終わりが見えない。この話はどう展開するのだろうと待っていた。どうも、私がもらっていたギャラが高額すぎて、かなり給料が下がるため「やってみますか」の一言を言い出しかねていた様子。小さな集落、給料が下がるのは分かっていての決断だったので、すぐにやります、と言ったわけであります。
以前、神奈川で訪問看護をしていた。癌の末期をメインにやっているところで、介護も看取りも何でも忙しく働くところだった。都会での印象は、とにかくみんな病んでいた。病気だけでなく、環境も、人間関係も社会も。お年寄りも働くひとも何だか疲れていてギリギリを生きている感じ。もちろん、明るくていい波動もあった。だけど、一握り、他は邪気やマイナスのエネルギーがすごかった。みんなの口から出るのは、死にたい、生きてたって仕方がない、生きるのが辛い、早くあの世に生きたい、こうしなければよかった、あーしとけばよかった、何で自分がこんなに辛い目に、もう来なくていい、早く帰れ、足りない、もっと欲しい・・・
3割以上の家庭に引きこもりやニートの子供がいて、親の年金で生活したり、介護放棄していたり、食事を提供していなかったり、配食サービスを子供が食べてしまっていたり。冷蔵庫のものが全部腐っていたり、空っぽだったり、一人暮らしや一人で介護している人、孤独に頑張っている人がほとんどだった。
言葉の暴力も力の暴力をする人もいた。毎回、訪問するたびに警察を呼んじゃう人や親子で傷害事件になる寸前の人もいた。あのマイナスのエネルギーの中でよくやってきたなと思う、ほんとに。
さて、一ヶ月川根で訪看の仕事をし、神奈川とどう違うのか検証。あの本当か〜と疑ってしまうような主任の話は真実なのか、斜めから見る自分だけど、どうだったか。
結論からいうと、川根のお年寄り最高。全員、かわいい、全員、笑顔、全員いい人。嫌な人、マイナスのエネルギーの人がいなかった。みんな笑顔だった。腰が痛くて、パーキンソン病で、足が痛くて動きにくくても、「痛くて思うように動けないっけれ〜」と笑顔。辛いから死にたいとか、動きたくないとか、ない。早く死にたいもない。誰も言わなかった。言われたのは、こんなに生きられてありがたい、みんなに来てもらえてありがたい、うまく動けないけど畑に出たり、家の仕事をする。
難病や重い病気の人も投げやりになったり、自暴自棄になったり、マイナス言葉を吐いたりしない。いつも笑いがある。笑っている。引きこもらない。あっけらかんとしている。
そして、全員ではないけど、何世代もの人が共に暮らし、みんなで支え合っている。大事にされている、愛されているというのを感じるのだ。入職して3週目くらいの時に、一人の人をお看取りした。1週間前から大勢の家族に囲まれ、連日常に近所の人や友達の訪問があった。そして、みんな寂しいながらも楽しく過ごした。昔の人はみんなこうやって看取ったんじゃないかな、と思った。口から食べられなくなったら食事はおしまい。点滴も経管栄養もせず自然な形で、家族や友人に囲まれながら旅立っていく。
この笑顔は何からくるのかと考えると、ありがたいと思う感謝の心かなと思う。どんな状況でも感謝して受け取る心、それが顔や表情に出て、訪問した私自身が癒やされるのだ。そして、こういうお年寄りがいるというのは、この土地のエネルギーがいいということなのだと思う。この土地のものを食べ、この土地で生き続けている、その人となりが豊かで魅力的ということは、この土地のエネルギーが豊かで魅力的なのだ。
自然や環境を見てしまいがちだけど、その土地のエネルギーを知りたければ、その土地のお年寄りを見ればいいのかもしれない。